娘を叱り飛ばしてしまう
娘を叱り飛ばしてしまうときの状況を思い出すと
同じような傾向がある
・言葉じりを突っ込まれるとき
・話を聞いてもらえないとき
・話しかけたのに返事がないとき
・弟の味方ばかりしていると言われたとき
傾向としては、私の思い通りにならないとき
叱り飛ばしてしまう挙句に、暴走すると近くの紙を怒りに任せて手当たり次第ビリビリに破いてしまう。
その、怒り始めてから沸点に達するまでが1秒に満たないほど早いので自分でコントロールが効かない。
試したこと
・呼吸法
・自分の怒りの傾向を知る
・とにかく反省
・様々な怒りに関する本を買って読む
など、やってはみたものの効果ない。
うっすらわかってきたのは、小手先の技術ではなく私の自尊心というか自己肯定感をあげないことには、無理だということ。
それって難しい。
母のやって来たことを繰り返さない
親に言われて来たことは
キマリを守ること、言われたことをすぐすること、挨拶返事を元気よくすること。
旦那には軍隊じゃんと言われたけど、それが当たり前だった。もちろん親には歯向かわない。
だから自分で考えることが苦手。マニュアル人間だと思う。親をうっすら恨んだ。
いま、自分の子供たちに同じようなことを要求してしまう。
あれほど、自分は繰り返さないと決めていたのに。
軍隊並みの指令を出しながら、頭の隅ではなんか違うなんか違う。わたし間違ってる。とわかっているのに。
難しい。
でも、それがわかっていて気づいているならできるはずだ。
いま気づけて良かった。
覚書1
新規の人は、カルテより先に希望コースを伺う。そうすることでカルテ書いている間に、準備ができる。
お客様は、何をしに来ているのか。
カルテを書きに来たわけではない。
そこのポイントを忘れないように。
大嫌いだった人が普通になった話
世の中には、色んな人がいるものだ。
なぜ、大嫌いだった人が普通になったのか考えてみた。
1ヶ月位前に、私はその人がまだ大嫌いだった。
私は必死に、話しかけるなオーラを発していた。
普通なら絶対わかるはずなのに、彼女は話しかけるな近寄るなオーラを全く感じないのかわからないが、近寄るどころか毎日の様に触ってきたりしてきて、もう限界だった。
こいつは普通じゃない。
何か他の手を考えなければ、、と焦って来ていた。
そんなとき、彼女が後ろから突然現れて私の肩を揉んできた。
うぅー、
申し訳ないが、嫌いなので気持ち悪くて鳥肌が立った。
だけど、邪険にするのも可哀想でしばらく我慢してたら、なんだか気持ち良くなったんだ。
思わず気持ちいいね、もっと続けてー!と本音が出た。そこは、いたいこらやめて!とか。
そしたら彼女、喜んでしてくれるんだよね。他にも頼んだことはやってくれるし、私が嫌味を言っても冗談としか取らなくて、段々と私も本音で接するようになって。めちゃめちゃらくになったんだ。
触られてやなときは、やめろ〜とか。でも冗談ぽくね。
私も嫌なこと言われたら、イヤだといい、良いと思ったら本気で褒める。意見が違って半分ケンカになることもある。だけど、なんか後を引かない。
あの嫌で嫌で仕方なかったのは、なんだったんだろう。
本音で付き合うと、離れて行く人がほとんどだと思っていた。
私が間違っていた。
本音で話して、離れて行く人は自分にとってそれまでの人。
それでも離れない人と付き合えばいい。とてもラクだ。その指針にすればいい。
マジで大嫌いな人が普通位になった。
まだなんか生理的に受け付けないんだ、ベタベタ触ってくるのが。
だけど、彼女は職場の先輩なので仕事が凄くラクになった。
本音で人と向き合うのっていい。
彼女から教えて貰った気がする。
やるしかない
昨日仕事の帰りに
愚痴ったりネガティヴなことを言ってしまった。
でも、やるしかないのはわかってる。
自分を見捨てない。
自分には自分本人しか本当に考えてくれる人はいないのだ。
40年間、やなことも良かったことも一緒にやって来たんだから。
バカでドジでお人好しでお節介でお調子者ですぐ落ち込んですぐ忘れて。そんな自分と仲良くしよう。
またドジしてもいいよ。
でも落ち着いて行こう。
あんたなら大丈夫!
専業主婦への憧れ
とにかく、些細な失敗をよくする。
もう恥ずかしくて恥ずかしくて穴があったら入りたい。
今日もきっかけは些細なことですが、失敗した。
いつもなら対策考えたり、明日は気をつけようとか、周りの人に謝ったりするけど、今日はもう自分に失望してしまい、何もやる気が起きなくなってしまった。
私はこのまま働けるのだろうか。
今月いっぱいが試用期間なので。あと3日で試用期間も終わりになる。
このまま雇ってもらえるのだろうか。
本気で心配になってきた。努力とかで何とかなるなら何とかしたいが、私の失敗はウッカリばかり。
落ち着こう、間違えないにしようと思っているのにいつも間違えてしまう。もう自分にお手上げ状態。この3カ月、必死でやって来たのに私にはやっぱりできないのではないか、いつになったら一人前になるのかと途方に暮れる。
思いっきり落ち込んでいる。
また専業主婦へ憧れがもどってきた。
人生の終わりからみえるもの
日常のふとしたときに、
今の人生がずっと続く訳ではないということを思い出す瞬間がある。
昨日は電車の中。ざっと見渡して、ここにいる人たちで100年後生きている人は居ないんだな。と。
今朝はダンボールなど紙ゴミの日でゴミ捨て場で。急に
ずっとこんな風に当たり前にゴミを捨てられる訳ではないよな。と。
そう思うと、職場での小さなことも落ち込むようなことではないし、ちょっとした喜びも有難いなぁと味わえるような気がする。
いまこの電車を待つ時間も貴重だ。暑い夏の日差しも、秋の気配を少し感じ始めた風も線路端の小さな花も、全て有限の中にあるって思うと見る景色が全て違ってみえる。
若い頃、タイで4年間過ごしたけど、初めはこんな風に全てが新鮮に見えたけど、日常になるとだんだん色あせて見えた。外国でさえそうなんだから、日本の田舎なんてさらに退屈なはずだ。
でも、有限を意識するだけで違ってみえるならいろんな意味で節約、無駄がない。
今日はその眼差しで行こう。