人生の終わりからみえるもの

日常のふとしたときに、

今の人生がずっと続く訳ではないということを思い出す瞬間がある。


昨日は電車の中。ざっと見渡して、ここにいる人たちで100年後生きている人は居ないんだな。と。


今朝はダンボールなど紙ゴミの日でゴミ捨て場で。急に

ずっとこんな風に当たり前にゴミを捨てられる訳ではないよな。と。


そう思うと、職場での小さなことも落ち込むようなことではないし、ちょっとした喜びも有難いなぁと味わえるような気がする。


いまこの電車を待つ時間も貴重だ。暑い夏の日差しも、秋の気配を少し感じ始めた風も線路端の小さな花も、全て有限の中にあるって思うと見る景色が全て違ってみえる。

若い頃、タイで4年間過ごしたけど、初めはこんな風に全てが新鮮に見えたけど、日常になるとだんだん色あせて見えた。外国でさえそうなんだから、日本の田舎なんてさらに退屈なはずだ。

でも、有限を意識するだけで違ってみえるならいろんな意味で節約、無駄がない。

今日はその眼差しで行こう。